角田裕毅だけじゃない|中嶋悟、鈴木亜久里、佐藤琢磨、小林可夢偉ら歴代日本人F1ドライバー|F1日本GP 2023特集

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Yuki Tsunoda / Satoru Nakajima
Getty Images

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今年は9月22日から24日に鈴鹿サーキットで行われるF1日本グランプリ(GP)。アルファタウリの角田裕毅(つのだ・ゆうき)は、日本人F1ドライバーとして今季も存在感を示し、F2では岩佐歩夢(いわさ・あゆむ)が昇格を目指して奮闘している。

これまでF1にフルタイムドライバーとして挑んだ日本人は10人を数える。パイオニアとしてアイルトン・セナやジャン・アレジとともに走った中嶋悟を筆頭に、モータースポーツ界の頂点であるF1にシーズンを通して果敢に挑んだ日本人ドライバーたちを紹介する。

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角田だけじゃない、F1にフルタイムで挑んだ侍ドライバーたち

2021年シーズンからアルファタウリと契約した角田裕毅。新型コロナウイルスの影響で、2021年度も日本グランプリが中止されたため、2022年が初凱旋。今年2023年で2度目の母国グランプリとなる。

角田にとって「鈴鹿サーキット」はジュニア時代から慣れ親しんだコースであり、同地で運営されている「鈴鹿サーキットレーシングスクール」で基礎を学んできた。そのスクールの校長を長年務めた(2018年まで)人物こそ、日本人フルタイムドライバー第1号として、1980年代後半からの日本のF1ブーム醸成に一役買った、中嶋悟だ。

F1に参戦した日本人ドライバーはスポット参戦(予選のみ含む)を含めれば21人になるが、年間シーズンを通してのレギュラーシートを得て参戦したのは、中嶋悟を含め10人のみとなる。角田は、日本人としては最も成功した小林可夢偉以来となる久々のフルタイムドライバーだ。

モータースポーツ界の頂点に立つF1に、過酷なシーズンを通して挑戦した日本人ドライバーを紹介していく。

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フルタイム第1号のパイオニア・中嶋悟

  • 氏名:中嶋悟(なかじま・さとる)
  • 出身地:愛知県岡崎市
  • 生年月日:1953年2月23日
  • F1活動時期:5シーズン
  • F1所属チーム:ロータス(1987~1989)、ティレル(1990~1991)
  • F1通算獲得点:16

1970年代前半からレーサーとしてキャリアを積み、1982年からヨーロッパF2選手権に参加し、全日本F2選手権3連覇。さらにル・マンなどの耐久レース、国際F3000選手権での連戦を経て、1987年シーズン、ついにロータス・ホンダから日本人フルタイムドライバーとしてF1デビューを果たした。通算5シーズンの活動において、内2シーズンでは自己最高の4位と健闘。その4位を飾った1989年のオーストラリアGPでは、アジア人初のファステストラップも記録した。

技巧派としての粘り強い走りに加え、ウエットコンディションに無類の強さを発揮し、「雨の中嶋」の異名で親しまれた。チームメイトにも恵まれ、アイルトン・セナ、ネルソン・ピケ、ジャン・アレジといった名手とのコンビネーションも経験し、毎シーズンでポイント獲得や見せ場をつくった。

ティレルでの1991年シーズン終了とともに現役レーシングドライバーとして引退。引退後は、自身のチームであるナカジマレーシングで現場に係わるなか、1993年開校の「鈴鹿サーキットレーシングスクール」の校長を2018年まで務めた。後年のF1フルタイムドライバー・佐藤琢磨ら多くのドライバーを育てるなど、日本レーシング界に多大な影響力を残している。

流浪のF1ドライバー・鈴木亜久里

  • 氏名:鈴木亜久里(すずき・あぐり)
  • 出身地:東京都板橋区
  • 生年月日:1960年9月8日
  • F1活動時期:8シーズン(1988年、1994年はスポット参戦のみ、1995年は6戦のみ)
  • F1所属チーム:ラルース(1988=日本GPのみ、1990~1991)、ザクスピード(1989)、フットワーク(1992~1993)、ジョーダン(1994=パシフィックGPのみ)、リジェ(1995)
  • F1通算獲得点:8

少年期のカートレーサーの経験をもとに全日本F3選手権に参入し、全日本F3000選手権を経て、1988年の日本GPでヤニック・ダルマスの代役として急遽F1デビューを飾った。1989年からザクスピードのシートで日本人フルタイムドライバー2号として本格F1参戦。

鈴木がF1参戦した1988~1992年は現在の10チーム20車固定出場ではなく、上限30台でなおかつそれ以上の台数が参加しており、予備予選制度があった。そのため、1989年はチームの体制不備もあって全16戦で予備予選落ちの不名誉なシーズンとなったが、翌1990年はラルースに移籍すると、日本GPで3位に食い込み、アジア人・日本人初のF1表彰台入りを果たした。

参入ハードル低下の一方、現代以上に開発技術や手持ち予算の格差が大きかった当時の浮き沈みの激しいF1において、その後の鈴木のドライバー人生も翻弄され、1992年からのフットワークでの2シーズンは不本意な成績に終わり、1994年は「F1浪人」を経験。リジェでの6戦のみ参戦となった1995年がF1キャリア最後の年となった。

現役引退後は、スーパーアグリのチームオーナーとして複数のカテゴリーに挑んだ。F1には2006年から参戦し、2007年には佐藤琢磨が入賞するなど存在感を示したが、2008年シーズンで撤退。現在はARTAの総監督としてSUPER GTで戦っている。

3シーズン目に実力発揮・片山右京

  • 氏名:片山右京(かたやま・うきょう)
  • 出身地:神奈川県相模原市
  • 生年月日:1963年5月29日
  • F1活動時期:6シーズン
  • F1所属チーム:ラルース(1992)、ティレル(1993~1996)、ミナルディ(1997)
  • F1通算獲得点:5

フランスにあるルノーのウィンフィールドレーシングスクールを首席で卒業後、帰国後は全日本および国際F3000選手権を経験、1992年から3人目の日本人フルタイムドライバーとしてベンチュリ・ラルースと契約した。初年度は健闘したものの無得点に終え、1993年からはかつての名門ティレルに移籍も旧態依然としたマシンに苦戦しながらも、鈴木亜久里との日本GPで激しいしのぎあいを見せた。1994年は出色の出来で、連続入賞を果たして「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれるその実力を発揮した。

片山はラストイヤーとなった1997年のミナルディ時代を含め、多くのシーズンでチーム内政治やマシン開発状況の遅れや偏りに苦しめられた。F1撤退後はル・マン24時間耐久レースのほか、ダカール・ラリーなど異種カテゴリーにも挑戦したほか、登山家としての活動や自転車競技にも進出し、東京2020オリンピック・パラリンピックの自転車競技のスポーツマネージャーを務めた。

近年は、Team UKYOのオーナー兼監督として、モータースポーツ(SUPER GT、GOODSMILE RACINGとの共同チーム)とロードレース(UCIコンチネンタルチーム)に挑んでいる。

国内メーカーの支援なしでフルタイム参戦・井上隆智穂

  • 氏名:井上隆智穂(いのうえ・たかちほ)
  • 出身地:兵庫県神戸市
  • 生年月日:1963年9月5日
  • F1活動時期:2シーズン(1994年はスポット参戦のみ)
  • F1所属チーム:シムテック(1994=日本GPのみ)、フットワーク(1995)
  • F1通算獲得点:0

成人後のキャリアスタートながら、英国のジム・ラッセル・レーシングスクール卒業から同地の選手権を転戦後、全日本F3選手権、国際F3000選手権とステップアップ。1994年のシムテックからの日本GPスポット参戦を経て、1995年にフットワーク・アロウズのフルタイムドライバーとして日本人第4号となった。井上は中嶋悟らとは違い、国内自動車メーカーの支援を受けず、「駅前留学」で知られた語学学校NOVAのスポンサードを得ての参戦だったことから、当時のフジテレビF1中継において「F1駅前留学」と揶揄された。

最高位は8位で、当時のポイント対象は6位入賞までで無獲得で終えることになったが、モナコGPのフリー走行時にオフィシャルカーに激突され、ハンガリーGPでは出火したマシンの消火作業中にレスキューカーに轢かれるなどの災難に遭ったが、幸いいずれも大きなケガには至らなかった。後年、自虐的な持ちネタとし、自身の代名詞に昇華した。

ミナルディ移籍話の破談によりF1撤退後は、GTカテゴリーレースに参戦したが、1999年を最後に現役引退。モンテカルロに居を構えながら、ユーロノヴァレーシングなどのチームを運営し、後進の育成やマネジメントも手掛けている。近年はタキ井上として中日スポーツでの連載など、ラディカルなF1情報を発信している。

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数少ない世界3大レース経験者・中野信治

  • 氏名:中野信治(なかの・しんじ)
  • 出身地:大阪府高槻市
  • 生年月日:1971年4月1日
  • F1活動時期:2シーズン
  • F1所属チーム:プロスト(1997)、ミナルディ(1998)
  • F1通算獲得点:2

国際カートGP日本人初・史上最年少優勝をあげ、弱冠18歳で全日本F3選手権に参戦。F3000選手権とのWエントリーでキャリアを磨くと、1997年、リジェを買収したプロスト・グランプリのシートに座り、日本人5人目のレギュラードライバーに。カート時代から縁が深い無限製エンジンからプジョー製エンジンへの移行問題によるチーム内政治の影響で厳しい状況を強いられながらも、カナダGPとハンガリーGPで6位入賞を果たし、ポイントを獲得した。

1998年は片山右京と入れ替わりで加入したミナルディでのフル参戦し、6戦連続完走を遂げるものの大きな成果は残せなかった。翌年はジョーダン・無限ホンダのテストドライバーとしてチームに帯同したが、昇格のチャンスは訪れず、同年F1を離れた。

F1撤退後は米国のフォーミュラカーレース、CARTに出場すると、インディ500にもスポット参戦。さらに2005年から2016年にかけてル・マン24時間耐久レースに複数回出場したことで、F1時代のモナコGPとあわせて世界3大レース(モナコGP、インディ500、ル・マン24)出場を果たした初の日本人レーサーとなった。2023年現在52歳となった中野だが、鈴鹿サーキットレーシングスクールの副校長などで角田裕毅ら後進育成に携わり、DAZNのF1日本語中継の解説を務める一方、現役としてスーパー耐久シリーズ(ST-TCRクラス)でハンドルを握るなど、エネルギッシュに活動している。

日本一速い男を倒したロン毛レーサー・高木虎之介

  • 氏名:高木虎之介(たかぎ・とらのすけ)
  • 出身地:静岡県静岡市
  • 生年月日:1974年2月12日
  • F1活動時期:2シーズン
  • F1所属チーム:ティレル(1998)、アロウズ(1999)
  • F1通算獲得点:0

中野同様にカートレースから全日本F3選手権を経て、全日本F3000選手権およびフォーミュラ・ニッポンに中嶋企画所属のドライバーとして参戦。1995年には、「日本一速い男」として長らく君臨していた星野一義を倒した若きレーサーが世代交代を印象付けた。1997年、ティレルのテストドライバー就任の翌1998年、フルタイム契約に昇格し、日本人としては6人目の栄誉をつかんだ。

しかし、弱体化した名門ティレルは買収先のB・A・Rへの移行を待たずして壊滅状態に陥り、最高位9位と奮わなかった。1999年はアロウズのシートを得て、開幕戦オーストラリアGPで7位と今後を期待させる走りをみせるも、迷走期にあったチームには上位に食い込み続けるマシン開発環境はなく、完走4回、無得点でシーズン終了となった。

フォーミュラ・ニッポン復帰後は中嶋のもとから独立しTAKAGI PLANNINGを設立。F1参戦を見据えるトヨタを契約を結び、CARTとインディカーシリーズに進んだが、2002年のトヨタF1チームのシートを得ることは叶わなかった。2009年以降は、監督業に転身。近年はTGR TEAM ENEOS ROOKIEの監督として現場に携わっている。

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僅かキャリア5年でF1フル参戦の韋駄天・佐藤琢磨

  • 氏名:佐藤琢磨(さとう・たくま)
  • 出身地:東京都新宿区
  • 生年月日:1977年1月28日
  • F1活動時期:7シーズン(2003年は1戦のみ昇格、2008年は4戦のみ)
  • F1所属チーム:ジョーダン(2002)、B・A・R(2003=日本GPのみ、2004~2005)、スーパーアグリ(2006~2008)
  • F1通算獲得点:44

佐藤琢磨といえば、最初のカートレースから僅か5年で日本人7人目のF1フルタイムドライバーとなったその「韋駄天」ぶりだろう。鈴鹿サーキットレーシングスクール開校にあわせて学生時代に打ち込んだ自転車競技から転向。1997年に同校フォーミュラ部門を首席で卒業すると、全日本F3選手権を経て、2000年には英国F3選手権に転戦。同地では日本人初のイギリス王者だけでなく、スポット参戦のフランスおよび国際F3などでも優勝を遂げ、欧州でその名を轟かせた。

その実績を引っ提げて2002年にジョーダン・グランプリのレギュラードライバーとしてF1デビューを果たし、最終戦の日本GPでは5位に入賞。しかし、チーム事情の悪さとホンダエンジン撤退に伴い、佐藤自身もチームから放出され、2003年シーズンはB・A・Rのリザーブ兼テストドライバーとして参加。本戦出場は日本GPのみとなるも、6位入賞が評価され、2004年からレギュラーシートでフル参戦した。同年はキャリアハイといえる年で、アメリカGPの3位入賞で鈴木亜久里以来の表彰台入りを決めた。

2006年にはスーパーアグリに移籍したが、同チームでの3シーズンは目立った結果には及ばなかったものの、日本製フルパッケージで初のポイント獲得などしっかりと爪痕を残した。

F1復帰を模索しながらも2010年から米国に拠点を移し、インディカーシリーズを主戦場にすると、2017年、ついに日本人初のインディ500優勝をつかんだ。2020年にも2度目の優勝の偉業を達成。2023年現在、46歳となった今も現役としてオーバルコースに挑みつつ、鈴鹿サーキットレーシングスクール校長として後進の育成に力を入れている。

アジア人初のF1親子鷹・中嶋一貴

  • 氏名:中嶋一貴(なかじま・かずき)
  • 出身地:愛知県岡崎市
  • 生年月日:1985年1月11日
  • F1活動時期:3シーズン(2007年は1戦のみ昇格)
  • F1所属チーム:ウィリアムズ(2007~2009)
  • F1通算獲得点:9

中嶋悟の長男ながらも父の影響下(ホンダ系)に進まず、フォーミュラトヨタレーシングスクールで基礎を学び、トヨタのジュニアレースで年間タイトルを獲得。2004年から全日本F3選手権、2005年はSUPER GT、2006年はF3ユーロシリーズ、2007年はGP2(現F2)へと順調にキャリアアップし、GP2参戦と並行して、同年中にウィリアムズ・トヨタのリザーブ兼テストドライバーとしてF1入りを果たす。父の威光を借りずに自力でF1にたどり着いた一貴は、2007年のブラジルGPで本戦デビューとなり、アジア人初の親子F1ドライバーとなった。

2008年からは日本人で8人目となるフルタイムドライバーとして参戦。開幕戦オーストラリアGPでは22台中14台リタイアという大荒れのレースながら、6位入賞で気を吐いた。その後も父譲りの走りで度々入賞を果たし、9ポイント獲得で実力を示した。しかし、2009年シーズンは最高位9位と低調に終わり、F1浪人生活に入った。

F1復帰を断念した2011年からフォーミュラ・ニッポンで国内復帰後、弟の大祐との兄弟対決も演じた。その後もSUPER GT、スーパーフォーミュラなど国内レースやFIA世界耐久選手権(WEC)を転戦したが、フェルナンド・アロンソと組んだ2018年のル・マン24時間耐久レースでは、日本車で優勝した初の日本人ドライバーとなった。一貫してトヨタのトップドライバーとして活躍した実績を買われ、2021年の現役引退後はTOYOTA GAZOO Racing Europeの副会長に抜擢された。

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F1日本人最多得点記録保持者・小林可夢偉

  • 氏名:小林可夢偉(こばやし・かむい)
  • 出身地:兵庫県尼崎市
  • 生年月日:1986年9月13日
  • F1活動時期:5シーズン(2009年は1戦はFPのみ、2戦は決勝まで)
  • F1所属チーム:トヨタ(2009)、ザウバー(2010〜2012)、ケータハム(2014)
  • F1通算獲得点:125

アイルトン・セナに憧れて9歳でカートを始め、フォーミュラトヨタレーシングスクール受講後、16歳で4輪デビュー。2004年からはトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラムのもと新人レーサーの登竜門とされるフォーミュラ・ルノー選手権に参戦し、日本人初の年間タイトルを獲得した。その後、F3ユーロシリーズに転戦し、経験値を積むと、2008年にはGP2アジアシリーズに挑戦。ここでも日本人初の年間王者となった。

2009年、トヨタF1のリザーブドライバーとして日本GPのFPで代走後、ティモ・グロッグ負傷離脱により次戦のブラジルGPから正式にF1デビューを飾り、最終戦アブダビGPでは6位入賞を果たす。2010年はトヨタのF1撤退により移籍を強いられたが、ザウバーで日本人9人目のフルタイムドライバーとして参戦。序盤はリタイアが続いたものの、連続入賞で32点をあげた。セルジオ・ペレスと組んだ翌年もモナコGPで自己最高の5位入賞など30点を獲得し、シーズン中に佐藤琢磨の日本人通算獲得点記録を超えた。2012年シーズンは日本GPでの3位入賞で表彰台に立つなど、日本人初の1シーズン60点を獲得している。

そんな活躍がありながらもザウバーから放出されると、1年の浪人生活へ。2014年にケータハムのシートを得るものの、チーム内政治もあり、中盤戦からリザーブに回され、F1キャリア初の無得点でシーズン終了。しかし、モナコGPの5位や通算獲得ポイント125点は、2023年現在も日本人最高記録となっている。

2015年以降はF1を離れ、スーパーフォーミュラで国内復帰するとWECにも進出。ル・マン24時間耐久レースでは日本人初のコースレコードを樹立し、2021年度にル・マン制覇とWEC年間王者2連覇を果たした。2023年現在も耐久レースを主戦場にNASCARにも参戦。現役トップレーサーとして世界を転戦している。

現役F1フルタイムドライバー・角田裕毅

  • 氏名:角田裕毅(つのだ・ゆうき)
  • 出身地:神奈川県相模原市
  • 生年月日:2000年5月11日
  • F1活動時期:3シーズン
  • F1所属チーム:アルファタウリ(2021〜現在)
  • F1通算獲得点:43

現役としては最新のF1フルタイムドライバーとなる角田裕毅は、4歳からカートを始め、小林可夢偉同様に16歳で4輪に進み、鈴鹿サーキットレーシングスクールの門戸を叩いた。主席卒業はならずも当時の校長・中嶋悟に見出され、FIAフォーミュラ4選手権に参戦。次第に安定した成績を残し、2018年にはホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクトの育成対象に選出されると、レッドブルのジュニアチームにも所属するようになる。

FIAフォーミュラ3選手権で総合9位となり、FIAフォーミュラ2選手権では総合3位に加え、新人賞も獲得する活躍ぶりをみせ、若干21歳にして2021年からアルファタウリのフルタイムドライバーとしての参戦が決定。小林以来、7年ぶり、10人目のレギュラードライバーとなった。

デビューイヤーは初戦で9位入賞など32得点を計上。2022年には、3年ぶりの日本GPで馴染み深い鈴鹿サーキットに初凱旋。今季はマシンスペック的に苦戦を強いられつつも、安定力のある走りで評価を得た。2度目の日本GP凱旋で表彰台入りや入賞はあるか。過去の日本人ドライバーたちを超える活躍が期待されている。


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著者
神宮泰暁 Yasuaki Shingu Photo

日本編集部所属。ボクシング・格闘技担当編集者。