NBA

絶対的エースとしてアメリカを金メダルへと導いたケビン・デュラント

Author Photo
Kevin Durant

8月7日、東京オリンピック男子バスケットボール競技の決勝戦が行なわれ、アメリカ代表がフランス代表に87-82で勝利し、オリンピック4連覇を達成した。

オリンピック前にラスベガスで開催された親善試合ではナイジェリアとオーストラリアに敗れ、グループフェーズ初戦ではフランスに敗れる黒星スタートとなったことから、今大会のアメリカを不安視する声は多かった。

終わってみれば、アメリカは全6試合で平均得点99.0に対して失点は79.0を記録し、平均20点差でその力の差を見せつける形となったわけだ。

しかし、親善試合からフランスとの決勝まで、アメリカは明らかな変化を遂げていった。その大きな要因が、大会MVPに輝いたケビン・デュラントの役割だ。

ブラッドリー・ビール(2020-21シーズン平均31.3得点)、デイミアン・リラード(同28.8)、ザック・ラビーン(同27.4)、デュラント(同26.9)、ジェイソン・テイタム(同26.4)、デビン・ブッカー(同25.6)と、昨季の得点ランキングのトップ20から6人が名を連ねたアメリカは、どこからでも点が取れるという前評判だった。

その後ビールの離脱はあったものの、その得点力は大きく変わらないはずだった。しかし蓋を開けてみると、そこには試合終盤に得点することに苦しむアメリカの姿があった。

親善試合の4試合で、デュラントは平均フィールドゴール試投12本、FG成功率43.75%、16.25得点という数字を残している。それなりの多さではあるが、他の選手よりも突出しているわけではない。

グループフェーズに入ってからも、3試合でデュラントはFG試投10.3本、FG成功率51.45%、14.3得点と、あくまでチーム内のオフェンスで動いている印象が強い。しかし決勝フェーズに入ってからの3試合では、FG試投18.0本、FG成功率53.33%、27.0得点と、大幅に彼の数字は上昇した。

最終的にデュラントは大会を通してFG試投14.2本、FG成功率52.9%、20.7得点を記録し、オリンピックで平均20得点を超えた初めてのアメリカ代表選手となった。これまで圧倒的な総合力でオリンピックを席巻してきたアメリカが、今大会は絶対的なエースを置いて戦う戦術に変わったのだ。

過去のアメリカのオリンピックチームを見てみると、平均20得点に最も近かったのは2012年のロンドン・オリンピックでデュラントが記録した19.5得点。しかしこのチームではカーメロ・アンソニーが16.3得点で、両選手の差はわずか3.2得点と、バランスが取れているのがわかる。

今大会ではデュラントの次に得点したのがテイタムで平均15.2得点。その差は5.5得点と、1992年以降のアメリカ代表におけるトップ2スコアラーの差としては2016年の7.3得点に次いで2番目に高い。2016年もデュラントがトップスコアラーであり、前大会からその兆候はあったものの、今大会の決勝フェーズで確立されたと言っていいだろう。

開催地 得点者 点差
1992 バルセロナ チャールズ・バークリー 18.0得点
マイケル・ジョーダン 14.9得点
3.1
1996 アトランタ チャールズ・バークリー 12.4得点
デイビッド・ロビンソン 12.0得点
0.4
2000 シドニー ビンス・カーター 14.8得点
ケビン・ガーネット 10.8得点
4.0
2004 アテネ アレン・アイバーソン 13.8得点
ティム・ダンカン 12.9得点
0.9
2008 北京 ドウェイン・ウェイド 16.0得点
レブロン・ジェームズ 15.5得点
0.5
2012 ロンドン ケビン・デュラント 19.5得点
カーメロ・アンソニー 16.3得点
3.2
2016 リオ ケビン・デュラント 19.4得点
カーメロ・アンソニー 12.1得点
7.3
2020 東京 ケビン・デュラント 20.7得点
ジェイソン・テイタム 15.2得点
5.5

それだけデュラントのスコアラーとしての能力が突出している証拠でもある。3大会でアメリカのオリンピック通算得点歴代1位の座を手にしたのも頷ける。アメリカのグレッグ・ポポビッチ・ヘッドコーチは「KDが特別なのは才能があるからではない」と、決勝後に話している。

「彼が特別なのは、常に練習に打ち込んでいるからなんだ。チームメイトとの関係値をしっかりと作り、周りからリスペクトもされている。そして何よりも、プレイすることをとても楽しんでいる。ゲームに対する愛情、人に対する愛情こそが、彼を特別な存在としている」。

今大会を最後に勇退することが決まっているアメリカのジェリー・コランジェロ会長も、デュラントは「USAバスケットボール史上最高の選手のひとり」であると表現した。

「間違いなく特別な存在だ。私は彼が大学1年生の時に初めて会った。その時にキャンプに招待し、彼は目を大きくしてやる気満々で『絶対に行きます』と答えた。それから、ずっと変わっていないんだ」。

2007年に大学生ながらも代表のトレーニングキャンプに招待されたデュラントだったが、最終的には経験を重視されロスターに残ることはなかった。しかし選抜チームの一員として2008年のオリンピックに向けたトレーニングに参加し、デュラントの代表活動が開始された。

それから13年、デュラントはスーパースターの揃うチームの絶対的エースとして、アメリカを金メダルへと導いたのだ。


NBA公式動画をチェック!

著者
大西玲央 Reo Onishi Photo

アメリカ・ニュージャージー州生まれ。国際基督教大学卒。NBA Japan / The Sporting Newsのシニアエディター。訳書には『コービー・ブライアント 失う勇気』『レイ・アレン自伝』『デリック・ローズ自伝』「ケビン・ガーネット自伝』『ヤニス 無一文からNBAの頂点へ』。